18歳~21歳まで、全寮制の学校だっため、寮生活をしました。
個室ではなくて、先輩や後輩と同室で3人部屋でした。3年生になると、国家試験を控えているため、同じ学年だけのお部屋になりました。
ベッドはなくて、布団を敷いて寝るお部屋。机と机の間は仕切りで区切られていました。プライベートなんてない生活。
門限は21時です。遊びたい盛りには、きつい制限でした。
食事は、病院食と同じですから、栄養バランスは良かったです。
しかし、若い時はそれだけでは足りなくて、スーパーなどで買ってきたり、実家から持ってきたものを食べたりもしました。
部屋に集まって、パーティみたいなこともしたし。
1人になりたいとき、実家が恋しい時、みんなは屋上の洗濯物干し場へ上がっていきました。特に学校が終わる時間や夜です。
外の風にあたりながら、好きな友達とポツリポツリとおしゃべりしたりしていたようです。
土曜日は半日、授業がありました。お昼前に授業が終わると、実家に帰る人は、走って寮の部屋に戻り、1本でも早い電車で帰れるように支度して出かけていました。
私は、実家は居心地が良い場所ではなかったので、電車で30分で近い場所でしたが帰らない日もありました。土日の寮は静かで、落ち着いていられました。

繊細さんだから1人になりたいのニャね。
寮生活が2年位過ぎて、私のクラスが飲酒や門限破りで、週末の帰宅が禁止になったり、盗難で退学する人が出たり、勉強も実習も追われるようにこなしていた時期です。
身体に異変がありました。
夜中に背中が痛くて、のたうち回りました。
その時はたまたま実家に泊まっていたのです。あまり心配もしてなさそうな母でしたが、私が望むので病院に連れて行ってくれました。
だって・・・凄い痛みだったのだから。
地方のM病院(個人病院)です。採血くらいはしてくれましたが、異常なし。さらにはそこの院長の診察で、20歳の私の前をはだけさせて、「乳首に○○○○○○○○○だね」と、セクハラを言いました。最悪です、二度と行きません。
寮に帰って、学校である自分の病院で、消化器内科を受診しました。
消化器部長は、授業でも教えてくれている先生でもあります。
採血をして、点滴を受けていると、私の側には、担任の女性のS先生がやってきました。
「そんなに頑張んなくっていいのよ」と白髪の先生ですが、お顔はまだ若かったです。私がポロポロと泣き出すと、先生はハンカチを差し出してくれました。
(のちに、先生は、私が勤める病棟で乳がんの闘病をしましたが、私が夜勤の夜に、亡くなってしまいました。ハンカチ、返しそびれました。)
血清アミラーゼが高値で膵炎であると、医師が伝えにきました。医師で協議をしたが、入院して、治験のお薬(この辺確実な記憶か曖昧)を点滴しましょうと言われました。
フサンという薬を、点滴される毎日が始まりました。
学校の先生(看護師)や医師が時々、お見舞いに来てくれました。
友達が、授業の合間に、手紙を持ってやってきてくれたりしました。
もう会えない人が多いですが、心の中に温かく存在し続ける方々です。
急性膵炎は、過度の飲酒で発症することが多いらしいですが、私は違うので、ストレスでも発症するのでしょう。
数日、入院して、退院しました。退院後も食欲は戻らず、毎日『めんこちゃんゼリー』を食べ続け、だいぶ痩せました。
ストレスには気を付けましょう。
お読みいただきありがとうございました。
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