40代で初めて心療内科を経験したのでした

こんにちは!みうみです。

人生は思い通りにならないとは、良く聞きます。

私の場合は、人生は思いもしないことが起きる。そんな半生でした。

実は引き寄せているのかもしれないですが、その辺は私にはよくわかりません。

結婚したとき、夫は転勤があっても近県だけだよと言っていました。

ところが、社会情勢が変わり、あれよあれよと日本の真ん中へ近づいてきました。

子供たちの幼稚園の可愛い時期の運動会、お遊戯会、小学校・中学校・高校の入学式・運動会・卒業式、成人式、私の親も夫の親も、兄弟も誰も来てはくれませんでした。ほとんどが私一人で忙しくしている。

小学校の朝の交通整理、幼稚園児だった娘Bを一人でお留守番されて参加するしかなかった心細かった時。

娘Aが友達の誕生会に行った午後、足元を覆う雪で帰り道を心配していた時、夫はパチンコで電話の着信はガン無視。娘Bの手を引いて、雪道を迎えに行ったこと。

新しい人生を踏み出したくても、帰るお家が無かったこと。実母が私の夫ばかりを好きで、私のことは守る術を考えられなかったこと。

それでも、声を上げると、誰かが助けてくれて、誰かが寄り添ってくれました。

ご縁のあった人、不思議な縁の人、1回しかお話してない人、色んな方がたくさんのことを教えてくれました。

よくここまで、心身が持ちました・・・と自分の体にも感謝の気持ちです。

で、心療内科はいつ行ったニャ?

娘Bが小学校6年生~中学校3年生まで、体調を崩しました。中学校は1/3も行けませんでした。

娘には全く関係ないですが、ちょうどそのころ、従弟が自死しました。

夢にうなされるようになって、睡眠が取れなくなって、近くの心療内科クリニックへ、月に一度行っていました。

鬱ではないけれど、鬱っぽいですね、鬱のお薬を出しますか?と先生に聞かれました。

抗うつ剤の副作用を知っていた私は、拒否しました。

絶対、デパス(抗不安薬・睡眠薬)だけで治してみせる!と。(この様子はうつ病ではなさそう)

自殺念慮もないし。とにかく眠りたい、疲れを取りたい。そんな感じでした。

あなたの睡眠を変える一枚がここに!昭和西川の「ムアツ Sleep Spa」!

数回通って、ある時、なんで5分しか医師と話さないのに、こんなに医療費を払うの??だろうと、明細を見て思ったのです。

そういう冷静に考えられる自分が、もう大丈夫だと思ったのでした。

それ以来、行かなくなりました。

薬も、止めました。

仕事は掛け持ち、土日無し、ワンオペ主婦もやって、土日完全ひきこもり夫を黙って見守り(?)、そんな楽しみもなさそうな日々でしたが、

猫とお花が好きでした。

一つでも好きなことがあると、救われますね。

この初代猫ちゃんも、家に来た生後2か月の時から、病弱で通院が絶えなかったのですが、手がかかるほど可愛くて。

HSPな私は、人とワイワイ騒いだり、世間話をするのが苦手ですので、家の中に癒しがあると、とてもホッとするのです。

繊細な人が快適に暮らすための習慣 医者が教えるHSP対策 [ 西脇 俊二 ]

(うつ病は、症状が良い時悪い時が、大波小波のように、繰り返して、長い時間かけて、だんだん良くなるものです。医療機関でのサポートが必要になります。)

お読みいただきありがとうございました。



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